インド編(その3 聖地ハルドワール)

makiflat2010-10-04

その1はこちら→ id:makiflat:20100922
その2はこちら→ id:makiflat:20100923

  • 9月8日

早朝アムリトサルを出発した列車は、ほぼ定刻通りにニューデリー駅に到着。メインバザールのSam's Cafeで、日本から来たnaokoと待ち合わせる予定だったので、駅から急いで向かう。そして、まるで東京のカフェで待ち合わせていたみたいに無事あっさり合流!「明日から何処へ行こうか?」という話合いの結果、ヒンズー教の聖地ハルドワール(ハリドワールとも呼ぶ)に決定し、さっそくニューデリー駅のチケットオフィスに行った。
行きは豪華にファーストクラス車両(と言っても1,000円くらいなものだが)にして、帰りはスリーパークラス(庶民席)にしようと決めて予約を進めていたところ、担当のおじさんが横のおじさんとお喋りを始める。10分位経った所で再び画面に向かうと、「オー、座席無くなったよ」と…。結局ファーストクラスは売り切れてしまったのだが、安い席ならまだ有るとの事で、往復ともスリーパークラスとなった。ま、結果的に楽しい列車の旅となったから良いのだが。

  • 9月9日

早朝、オールドデリー駅までオートリキシャで向かい、無事ハルドワール行きの列車にたどり着いた。しかし、チケットに座席番号が記載されておらずあたふたする私たち…。それを見た、家族を連れたお父さんが、私たちのチケットを手に列車の外に出て色々と聞きまわってくれ、「君たちの席は○号車の△△番だよ」と、座席まで連れて行ってくれた。インドの方々は本当に優しい。お父さんありがとう!
そして無事○号車の△△番にたどり着いたものの、何故か既に先客が。「ここ私たちの席なんですけどー」と言うも、ちょっと詰めて「ここに座れよ」と指さすだけでどこうとしない。同じボックス席で英語が喋れるお兄さん曰く、「彼らは無賃乗車だけど座席を占領してるんだよ。仕方ない、これがインドだよ(This is India)」と。
スリーパークラスの車内はカオスで、6人用のボックス席に何故か10人も座っていたし、チケットチェックは適当だった。でも、それもインドっぽくて楽しくて、お喋りなお兄さんと話しているうちにあっという間に8時間が経ち、ハルドワールに着いたのだった。
車内の様子↓

ハルドワールではまず宿探し。何軒か部屋を見せてもらい、結局、ホットシャワー無しだけれども小奇麗な感じの宿に決定(2人でRs350≒700円)。荷物を置いて早速町へ出た。
この町には、丘の上にヒンズー教寺院があり、ロープウェイで行くことが出来る。お供え物セットを入手して早速ロープウェイで丘の上へ登ると、眼下に見えたのはガンジス河!天気も良くて、最高の眺めだった。

ヒンズー寺院をお参りして、町へ下りて、次に向かうはハリキ・パイ・リーというガート(沐浴場)だ。このガートは、有名な聖地バラナシに比べるとこじんまりしていて綺麗で、そして観光客が殆ど居なかった。足だけガンガに浸してみようと降りて行ったら、「私たちと一緒に入りなさいよー!」と女性陣(下の2枚目の写真)に腕を引っ張られ川に入れられそうになるも、着替えもなかったので「無理ですー!」とお断り(笑)。でも気持ち良さそうだし楽しそうだったなあ。
 
ガートの階段に座ってぼうっと人々を眺めたり、話しかけてくるインド人と喋ったりしているうちに時間は過ぎ、日暮れ時には空に綺麗な虹がかかったのだった。この町のインド人たちは皆優しく、ガンガにかかる虹は神秘的で、すっかり幸せな気分に浸っていると、ガートに人がどんどん増えてきて、やがてプージャ(祈りの儀式)が始まった。祈りの音楽が流れ、火が焚かれ、人々はロウソクを灯した小さな船を川に流していく。それは、ヒンズー教徒ではない私にとっても、とても神聖な気持ちになる時間だ。プージャの後、人々の流れに沿ってバザールを抜け、宿まで歩いて帰った。
ガンガにかかる虹↓

プージャの様子↓

バザールを歩いていたらついて来た子供たち↓ 手を出してきたので「お金はあげないよ、無理なのよ〜、ごめんね」と言っても着いてきて、「Muri nano〜!?」と私たちの口調を真似しながら楽しそうにはしゃいでいる。明るい子供たちだったのでこっちも明るく「そう、Muri nano〜!」とか言いながらわいわいバザールを歩いていたのだけど、スイーツ屋さんの前で子どもたちが立ち止まって、物欲しそうな顔。「カナ、カナ(後でインドの友達に聞いたところ、Khanaはヒンディー語で「食べる」の意味だそう)」と言っている。食べ物なら、ということでヨーグルトみたいなスイーツ買ってあげると、うれしそうにありがとうと言って、去って行った。親が居るのか、家があるのか、物乞いで暮らしているのか、分からないけれども、今日もハルドワールでたくましく明るく生きていることを願う。